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最終更新日  2024年06月22日  

尊敬する人

英知コンサルティング代表の 清水一郎 が尊敬する人物(松下幸之助・稲盛和夫・井深大・永守重信・後藤新平・日野原重明)を紹介します。

パナソニックHD創業者 松下 幸之助 氏

「指導者の条件」として、次のように語っておられます。

①『自分より優れた人を使えることですな。そう、これだけで十分ですわ。

経営者にとって大事なことは、優秀な部下を集め、あるいは、育てることや。いくら優秀な人でも、人間ひとりには、限界があるわ。なんでも一番ということはない。

自分より、優秀な人はいっぱいいる。だからな、指導者が、なんでもオレがオレが、と言ってもできんわけや。

むしろそういう、自分より優れた人を傍に集めて、その人たちを活かし使う能力というか、そういうことができるということであれば、その人は、それで十分、立派な指導者と言えるけど、得てして、指導者という人は、自分より優れた人を遠ざけるな』

 

②『いくら熱心でもムダなことやったらいけませんで。それがムダかどうかは、あなた自身で考えなさい。これは無駄なことかどうか、一つひとつ検討しなさい。必ずムダなことをやっているに違いない。』

③『部下に大いに働いてもらうコツの一つは、部下が働こうとするのを、邪魔しないようにするということだ。』

④『人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。』

⑤『どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。』

 

京セラ・KDDI創業者 稲盛 和夫 氏

稲盛和夫氏は京セラや、後にKDDIとなる第二電電(DDI)を
創業したほか、経営破綻した日本航空(JAL)の再建をなし
遂げるなど、経営者として多くの実績を残しました。

組織を小集団に分け採算管理を徹底する「アメーバ経営」や、自身の経験則に基づいた「フィロソフィ」と呼ぶ独自の経営哲学で組織を活性化したことはたいへん有名な話しです。


業容拡大を支えたのが独自の経営手法「アメーバ経営」です。組織が大きくなるとどの部門が利益を上げ、どの部門の生産性が低いかが見えにくくなるといった弊害が出てきます。アメーバ経営は組織を小集団に分け、部門別に採算や目標を月単位で徹底的に管理することで社員一人ひとりが自主的に経営に参加することを目指した。

稲盛和夫氏の、次の名言が有名です。

『動機善なりや、私心なかりしか
DDI(第二電電)を設立し、電気通信事業へ参入する際、自身の動機に利己的な心、「私心」がないかと、半年間にわたり自問した時の言葉です。動機が善であり、実行過程が善であれば、結果は問う必要はない、必ず成功するという信念を表しています。

経営に権謀術数は一切不要
企業経営には、権謀術数が不可欠だと感じている人が多いかもしれないが、そういうものはいっさい必要ない。今日一日を一生懸命に生きさえすれば、未来は開けてくる。正々堂々と人間として正しいやり方を貫けば運命は開けてくるという考えです。実際に京セラやDDIの経営に携わり、日々懸命に働いているうちに、次に打つべき手は自ずから見えてきたし、そうすることが素晴らしい成果をもたらせてもくれたと述べています。

■あらゆる事象は心の反映である
一日一日を、ど真剣に生きる
今日の成果は過去の努力の結果であり、未来はこれからの努力で決まる
経営とは、人として正しい生き方を貫くことだ
集団、それはリーダーの人間性を映す鏡なのです
人間の進歩の元は素直であるかないかで決まる。自分の非を認めて学ぶ「素直な心」がないと
 人間の進歩はない

どんな仕事でも喜んで引き受けてください。やりたくない仕事も、意に沿わない仕事も、あな
 たを磨き強くする力を秘めているからです

すべて人生は心に描いた通りになる。どのような厳しい状況に置かれようと、否定的なことを
 心に浮かべるべきではない。まじめに前向きに努力していけば決して悪いことがあろうはずが
 ないと確信して、常に堂々と明るく進まなければならない

パナソニックHDの松下幸之助 氏が「昭和のカリスマ」なら、稲盛和夫 は「平成のカリスマ」といえるでしょう。ともに中堅・中小企業の経営者の共感を呼び、経営を人生論に昇華させました。

ソニーグループ創業者 井深 大 氏

1946年(昭和21年)1月、ソニーの創業者のひとり、井深 大
が起草した「東京通信工業株式会社 設立趣意書」の「経営
方針」に、
次の通り記載されており、共感しております。

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的
  な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず

一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の
  大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経
  営活動を期する

一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓
  迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技
  術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分
  類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を
       
絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う

一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大な信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以
  て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う

一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る

一、従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本
  位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ

一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分
  考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大
       を追わず

 

井深氏は『仕事の報酬は仕事という、有名な格言を残されております。

仕事の報酬は、金でも地位でも名誉でもない。いい仕事をすれば、引き続きいい仕事、面白い仕事、自分のやりたい仕事が回ってくる。それが何よりの報酬だ

私自身、勤務していた20代に、先輩から、仕事の成果のご褒美に、良い仕事をたくさんいただきました。仕事で成果を出せば出すほど、会長・社長・専務などから直接、仕事を頂いた思い出があります。
経営者となった私も、部下の仕事の評価には、次の良い仕事を贈らせていただいております。

ニデックグループ創業者 永守 重信 氏

28歳で日本電産を創業する。社長を含めて3人での創業であ
った。以後、代表取締役社長CEOとして、同社を日本を代表
する小型モーター製造会社に育て、モーター事業において、世界トップ・シェアの業績を誇る世界的な大企業に育て上げた。 

2014年11月17日に発刊された『日経ビジネス』誌で発表された「社長が選ぶベスト社長」ランキングにおいて第1位を獲得する。 

「情熱、熱意、執念」
「知的ハードワーキング」
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」

の三つを経営哲学としている。

また、日本電産創業時に「同族会社にしない」「下請けはやらない」「世界に君臨する企業を目指す」という経営理念を掲げており、それを実践している。

インタビューなどでは「仕事が一番楽しい」と答え、1日16時間(余暇と睡眠で合計8時間のみ)年間365日、元旦の午前を除いて働くという。

『ノーの連発からは何も生まれない。すぐやる、必ずやる、出来るまでやる、という常に前向きな姿勢を持ってこそ、素晴らしい成果が待っている』と語っている。

関東大震災から東京を復興させた 後藤 新平 氏

今から100年前に、時代をこえた事業構想力をもって、東京
を世界に通用する偉大な都市に改造しようと「見果てぬ夢」
を追いかけた男がいた。彼は、それまで思いもつかなつかなかった「人の生命と健康を守る」人間中心の機能をそなえた「都市づくり」をこのとき既に構想していた。
私が最も尊敬する官僚・政治家である 後藤 新平 (安政4年~昭和4年)です。

計画の規模の大きさから
大風呂敷とあだ名されました。
植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁とし、日本の南方・大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京帝都復興計画の立案・推進にも従事しました。

いまだ記憶に新しい「3・11」東日本大震災。不幸だったのは、天災と人災とがかさなったことです。さらに残念なのは、関東大震災のときのような斬新な復興計画が国からも地方からも出てこないし、それを実行する「自ら泥をかぶれる」リーダーが現れないことであろう。いま後藤新平という人物に、時代のスポットライトがあたろうとしている。

台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第七代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局(のちの日本放送協会・NHK)初代総裁、拓殖大学第三代学長などを歴任しました。

政治家としての後藤新平は「政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道は排すべきだ」との言葉を残しています。

後藤新平は医師としても高い評価を受けました。
明治15年(
1882年)、愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)の医師としての実績や才能を見出され、軍医石黒忠悳に認められて内務省衛生局に入り、医者としてよりも官僚として病院・衛生に関する行政に従事することになりました。明治23年(1890年)、ドイツに留学。西洋文明の優れた部分を強く認める一方で同時にコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、留学中の研究の成果を認められて医学博士号を与えられ、明治25年(1892年)には長與專齋の推薦で内務省衛生局長に就任しました。

後藤新平は徹して人材の招聘に力を注ぎました。
メリカ合衆国から新渡戸稲造を招いた際には、病弱を理由に断る新渡戸を執務室にベッドを持ち込むことなどの特別な条件を提示して結局承諾させている。スカウトされた新渡戸は、殖産局長心得、臨時台湾糖務局長として台湾でのサトウキビサツマイモの普及と改良に大きな成果を残している。また、生涯の腹心となった中村是公と出会ったのも台湾総督府時代だった。

欧州留学中に知り合った
林学者河合鈰太郎を招聘し、河合は阿里山の森林資源調査、ひいては阿里山森林鉄路の開通に多大な成果をもたらしている。衛生局時代に知り合った医学者の高木友枝は、台湾でのペストやマラリア撲滅を実現するために後藤が招聘し台湾総督府医学校校長および設立した総督府研究所の所長に据えました。

後藤新平は「一に人、二に人、三に人」「最大の経済対策は人を育てることにある」の言葉を残しています。

関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案し、現在の東京の原型を築いた人物として、あまりにも有名です。「有言実行型」
、大胆かつ実力のある大指導者でした。

三島通陽の『スカウト十話』によれば、後藤が倒れる日に三島に残した言葉が、私は好きです。

『よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ』であったという。

関東大震災後、復興された東京・昭和通り江戸橋付近

聖路加国際病院 名誉院長 日野原 重明 氏

105歳と言う年齢でありながら生涯現役医師として活躍された
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら しげあき)先生が、2017718日、自宅で永眠されました。

 

長年医療人として患者と向き合い、予防医学普及に尽力し、病院の在り方について考えていた日野原先生。残念ながら105歳で亡くなりましたが、100歳を過ぎても日野原先生の元には講演会の依頼がひっきりなしにあり、23年後までスケジュールは埋まっていたと言われています。

体調が悪化した時、日野原先生が選択した治療方針は「自宅療養」でした。

75歳以上の自立した元気がある人を対象にした「新老人」運動も提唱。「いくつになっても生き方は変えられる」と現役意識を持ち続けることを訴え、自らが率先した。人生のほとんどを病院で過ごし、 多くの患者さんに向き合ってきた日野原先生。最期の時くらい自宅でゆっくりしたいという想いだったのでしょうか。現・聖路加国際病院院長の福井次矢先生は、日野原先生に“経管栄養が必要”と診断しました。しかし、日野原先生の答えは「NO!」延命治療を望まず、本来あるべき人間の姿を望んだそうです。
日野原重明先生が選択したのは「医師」ではなく「人間」であることだったのです。

在宅医療で自宅に居る間、日野原先生はとろみのある食事やお水を口にしていたそうです。最後まで“経口摂取”で生きていきたいと強く願っていたのかもしれません。体調が急変したのは714日でした。ついに言葉を発することが困難になった日野原先生は意志疎通を“うなずくこと”でしか伝えられませんでした。そして718、日野原先生は呼吸不全で亡くなりました。


関係者によれば、最近は体調を崩しがちだったが、仕事への意欲は消えなかった。「死は決して怖くない。最期はありがとうと言って死んでゆきたい」その言葉通り、やすらかな最期だったという。

長年日野原先生と時間を共にしていた福井院長は、「日野原先生は常々
『死は生き方の最後の挑戦』 『命に感謝して死んでいけたらどんなにいいだろう』と話していました。望ましい人の生き方を実践して生を終えたのではないか」と、語られました。


人間ドック導入や生活習慣病の名付け親、ターミナルケア(終末期医療)の普及など、医師としての活躍はもちろん、お年寄りの新たなライフスタイル、子供たちへの命の教育、日本人の精神…。穏やかで温かく、時には辛口のメッセージを発信し、生涯現役を貫いた。


75歳以上の自立した元気がある人を対象にした「新老人」運動も提唱。「いくつになっても生き方は変えられる」と現役意識を持ち続けることを訴え、自らが率先した。

私自身も
日野原先生のように「生涯現役」で仕事を全うしたいと、決意を固めております。

聖路加国際病院(東京都中央区)

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